バン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで辻井伸行サンが優勝した。
マスコミには「盲目の・・」とゆうキャプションの付いた文字が躍り、
記者会見の席では「目が見えたら何が見たいですか?」ナドト不毛なコトを訊く。
でもそれは悪気でもナンでもなく、仕方の無い事なのかも知れない、
彼らには見える眼があるし、
ボクらには見えない・・とゆう事がどういう事か、分かってすらいないから。
思えば眼が見える・・とゆうのはホントーにメリットなんだろうか。
見える事で見た目にダマされ、見えるものがシンヂツだと固定観念。
見えなければ見えないで分からない認識/固定観念もあるけれど、
少なくとも見えることの「常識」に囚われた固定観念からはフリーだ。
視覚、聴覚、触覚、味覚に臭覚・・五感を平均に使いこなす事で得られるこの世のカタチ。
ディテールを構築する上で情報は様々な分野に亘って多い方がいいのだろうが
集めるモノが多すぎると、必要以上の余計なモノまで掴む。
雑音が多いと聴きづらいラジオのように、トリックが見つけづらい「隠し絵」のように。
脳の一部が損傷した時、それをカヴァーするように別の脳野が
普段の能力以上のスペックを持つコトがある、とTV番組で知った。
ヒトのカラダにもそれは共通するのだろう、コトの大小はあるにせよ
何かに特化した能力を得るには何がしかの犠牲が必要なのだ。
そしてそれはボクら、自堕落でごくフツーのニンゲンがどんなにストイックに自分を追い詰めても
到底、到達し得る領域ではないのだ。
感覚汚染、精神汚染のしがらみを断ち切った、素直でストレートなココロのみが導く世界・・
ボクはそれが本当に、ココロから「スゴイ!!」事だと思う。
運命や障害・・それにすら、柄ぢゃあないけど神の存在を感じてしまうのだ。
どこか、空の一点を見て、何かを言ったり笑いかけたりしている赤ン坊。
そこにはボクらに分からない次元が何か、きっと存在している
見えないモノが見え、感じられないモノが感じられる感覚・・・
それをメリットとするか、デメリットとするかの選択は
その人の「個性・・」と呼んでもいいのかも知れない。